生きづらい世の中を気楽に生きる方法

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皆さん、今日もお疲れ様です。私も疲れている、というか、くたびれてます(苦笑)

さて、今更ですが、今日は理不尽極まりない世の中、そもそも公平なんてあり得ない、生きづらい世の中をいかに少しでも気楽に生きていくか?について、書いてみたいと思います。

これは自分にとっても永遠の課題であり、解決策なんてないんだろうなと半ばあきらめつつ過ごしてきたわけで、いろいろと悩んだり苦しんだり辛い思いもたくさんしてきました。

数年前には、うつになり、約半年ほど休職した時期もありましたが、最近、少し気持ちが楽になってきたような気がするので、それがどうしてなのかを整理するためにも、私のこれまでの人生を含め、簡単にブログに書いてみようと思った次第です。

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私も若かりし頃はメガバンクで支店長を目指していた

今から、約30年近く前、私は某都市銀行(今は統合を経てメガバンクの一つとして生き残っています)に入行しました。

当時はバブルのまさに最後の年で、銀行に入ってすぐにバブルがはじけたというタイミングでした。

今はどうかはわかりませんが、当時は明らかに入行時の店舗の格(グレードが何段階かありまして)で将来がある程度決まっていたのではないか?と思われるところがありました。

私の場合は上から2つ目のグレードの法人営業を主とした店舗に配属され、2ケ店目で運よくか運悪くかはわかりませんが、東京の本部に異動し、それから数年間、割と役員に近いところで仕事をさせていただく機会に恵まれました。

本部の先輩や同期は非常に優秀で、今では支店長どころか、執行役員や本部の部長にまでなっている先輩が複数人いますから、やはり特に優秀な人たちが集まっていたんだなと思います。

但し、給料はよいですが仕事は極めてハード。人間関係もあまりよいとは言えませんでした。(私はアホだったのでよく叱られました)

平日はセブンイレブンならぬエイトトゥエルブで、終電に飛び乗るか、間に合わなければ真夜中の午前2時とか3時とかにタクシーで首都高をとおって霞が関の明かりを遠くに眺めながら社宅には数時間寝に帰る、ただただそれだけの日々。

ある時は、金曜日に出勤して土曜日を通り越して日曜日の朝に、新聞配達のおじさんよりも遅くに社宅に帰ったこともありました。

私の場合、すでに結婚し子供もいましたから、妻には大変寂しい思いをさせたと思います。

ですが、その時は私はとにかく自分のことだけで精一杯の状態でした。

今、当時のことを振り返れば、たまに土日に家族で図書館に子供の絵本を借りに行ったり、近くのスーパーに買い物に行ったり、公園に行ったりするのが、ささやかな幸せだった気がします。

でも、その時、すでに「自分の人生は果たしてこのままでいいのだろうか?」という疑問が湧き始めていました。

とにかく仕事オンリーといってもよい生活。家族との時間、自分の時間などほとんどない状態でしたから。

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阪神大震災と両親の死

そんな中、ある日突然、阪神大震災が出身地である神戸を襲いました。

本部に異動して間もない、ある朝、テレビに映し出されている目を疑うような光景。

あの阪神高速が倒れ、JRの橋桁が落ち、ビルが倒壊し、火事で街が火の海になっている…

幸い、私の両親や兄弟は命にかかわるようなことはありませんでしたが、実家は全壊。

当時は連絡もすぐにはつかず、2日後くらいに母から電話があって無事を知ったような状態。実家に帰ることもできません。

あとから知ったのですが、高校時代の友人も何人か震災で亡くなりました。

そして、震災の年の暮れに父親が、その後を追って数年後に母親もが病気でこの世を去りました。

おそらく、震災で家を失ったショック、その後の生活におけるストレスが原因だったのではないかと思っています。

これらの出来事は、自分にとって非常にインパクトが大きく、人生、いつどうなるかわからない、明日生きているのかどうかもわからない、という思いとともに、

父が亡くなったときに、そういえば父との思い出があまりない(一緒に遊んだこともほんの少しでしたから)、そんな思いを自分の子供にはさせたくない、もっと家族との時間や自分の時間を大切にしたいという気持ちが大きくなり、

銀行ではそういった生活は望むべくもないことから、割と順調に送っていた銀行員人生と決別することにしたのです。

銀行を退職したいと申し出たときに、直接の上司から「お前をよその会社には行かせない」と言って頂いたことは非常に有難かったですね。

今でも、その時のことを鮮明に思い出しますが、自分の気持ちとしては申し訳なかったのですが転職することで固まっていました。

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別の業界への転職

さて、当時は今のように転職が当たり前の時代ではなく、また求人情報も新聞などで探すような時代でしたから、どうしたものかと悩みましたが、

たまたま日経新聞に載っていた会社を受けたところ中途採用が決まり、神戸に戻れることと、それなりの給与水準であることが決め手となって、まあ銀行員時代ほどの生活はできないものの、それなりに生きていけるだろうということで転職を決めました。

そこで、私の銀行員人生は終わり、地元神戸で第二の人生が始まりました。

実際に入社してみると、銀行と比べれば全然ちがって非常にゆるい感じ。

当然、飲み会を除けば終電になったりすることもなければ、土日出勤しても平日に振替休日がもらえます。

これがいわゆる「人間らしい人生」であり生き方なんじゃないか、と本当に思いましたね。

仕事はどこにいっても楽とはいえませんが、ぜいたくは言えません。

転職先でも自分なりに頑張って働きました。

ところが、36歳の頃にまた想定外のことが起こりました。

休日に高速道路を車で走っていた途中(たしか家族旅行の帰りでした)、急に「このままだと急にハンドルを切って(事故で)自分は死んでしまうかもしれない」という状態におちいったのです。いわゆるパニック障害です。

体はこわばり、額からはあぶら汗が流れ、結局、路肩に一時停止し、妻に運転を代わってもらい何とか無事帰宅することができました。

ですが、その後も、仕事中に激しい動悸や呼吸困難に見舞われ、循環器病を疑い何度か精密検査をしましたが結果は異常なし。

結局、診療内科の受診をすすめられ、それからすでに15年以上が経過しています。(まだ通院しています)

なぜ、そんなことに自分がなってしまったのか?銀行員時代のあの厳しいストレスフルな状況下でも大丈夫だったのに?

確かに、その頃は転職先で昇進するかどうかのタイミングでもあり、一生懸命仕事に取り組んでいましたので、緊張感が持続しすぎて自律神経に負担がかかっていたのではないかということと、友人が自死するというショックな出来事も重なり、そのようなことになってしまったのかもしれませんが、原因はいまだに不明です。

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本社行きを断ったことで流れが変わった?

診療内科に通院しながらも、なんとか仕事には前向きに取り組んでおり、出世欲は人よりは少ないながらも全くないわけでもなく、まあ人並み以上には昇格するんだろうなという根拠のない自信をもっていました。

そうした中で、ある日、上司から本社に行かないかとの打診を受けました。

わが社では、当時、本社と往復することで出世していくのが通常の昇格ルートになっており(それは今もですが)、普通は断る人はそうはいないんだろうと思います(笑)

しかしながら、私はお断りしました。

銀行ではないとはいえ、本社にいけばかなり多忙な日々を過ごすことになるのは間違いなく、すでに家を建てていましたから、単身赴任で家族と離れて暮らすことになります。

自分はなぜ処遇においては順調だった銀行をやめて転職したのか?それは家族との時間や自分の時間を優先するためではなかったか?

それ以外にも、二重生活だと経済的にも負担がかかりますし、まあ本社に行かなくてもそれなりに昇格するだろう、と考えたのです。

ですが、その後、本社はおろか昇格の話もまったくない。

いや、本当に組織というのは怖いですね。

自分の認識がかなり甘かったというのはありますが、どうやらその一件である人を怒らせてしまった。

(ひょっとしたらそれは勘違いで、単に能力がなかっただけなのかもしれませんが)

そこからは、同僚はもちろん、年次が下の後輩社員に次から次へと追い抜かれ現在に至る、わけです。

当たり前ですが、出世したい人は、仕事が多少できても上司や人事には逆らわないようにしたほうがいいですね。

結局、評価するのは機械ではなく感情のある人間(上司)です。

そういうことで、私のようにブロックされると、出世欲が少ない人間でも、結構、精神的ダメージをうけます(苦笑)

そういったことと、プライベートでの悩みもかさなって、数年前にうつになり、休職につながったのではないかと自分では分析しています。

人生って難しいなあ。

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人と比較すること、人に期待することをやめた

そして、50歳を超え、ようやく最近になって、何が自分を生きづらくしているのかをあらためて考えたわけです。

結論としては、人と比較して自分が劣っていると思うから辛くなる。

人に(無意識であっても)期待をしていて、その期待を裏切られるからイラ立ったり腹立たしく思う。

人はそれぞれ違います。まず、その事実を受け止めようと。

生まれた時代、国、どんな両親や家庭に生まれるか、生まれつきの能力、性格、育つ環境など、いろんな要素があって、すべて違うわけですから比較したところで仕方ない。(反論がある方もいらっしゃるでしょうが)

そして、自分がコントロールできることなど、ほんのちっぽけな範囲のことで、ほとんどが「運」といってしまってもいいのではないかと、私は思うんです。

だからといって、自分はこんなに恵まれない環境のもとに生まれたんだから仕方ないと諦めろ、と言ってるわけではないんですよ。

世の中というのは、そもそも不公平なものであり、理不尽なこともたくさんあるもの。それを事実として冷静に受け止める。

そして、自分は自分、他人は他人、と、肩の力を抜いて生きていくことができたら、少しは生きづらさも減るんじゃないかな、と。

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まとめ

私はすでに50台。競技場でいえば最終コーナーに差し掛かっているところくらいか?

なぜ、今までこのような心境に至れなかったのか、が不思議ですが、やはりある程度の年齢に達しないとこのような心境にはなかなかなれないものなのかも知れません。

必ずしも年齢の問題だけではなくて、もしかしたら、これまでのいろんな経験(震災、転職、大切な人との別れ、挫折など)によるものなのかも知れません。

けれども、これだけは言えます。

「人と比較しない。」「人に期待しない。」

それだけで、人生、少しは気楽になる!

それが人生を気楽に生きる方法だと。

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うにホタテいくら丼は美味いです