僕は「豆腐メンタル」という言葉が嫌いです

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豆腐
オマチです。

実は、僕は10数年前からメンタルヘルスの問題を抱えています。

メンタルヘルスといっても、いろんな種類の症状がありますので、ひとくくりにできるものではありません。

ちなみに、僕の場合はパニック障害→不安障害→適応障害です。

豆腐メンタルとは

豆腐メンタルとは、豆腐の柔らかさのように極端に精神面が脆いこと。(出典:ピクシブ百科事典)

まあ、想像とおりであります。

精神面がもろいとはどういうことか

普通の人からすれば、たいしたことではないのに、それに対して大きなショックを受けたり、逆境に立たされたときに心が折れてしまい、自暴自棄になったりする、ということでしょうか。

精神面がもろいことは悪なのか

さて、ここからが本題です。

精神面が強い人、弱い人、というのは必ず存在します。

アスリートなどでもよく言われますよね。

勝者はメンタルが強く、敗者はメンタルが弱い、などと。

でも、それが「人間」というものですからね。(つまり個人差があるということが言いたいのですが)

精神面が弱いと、それを鍛えて強くならなければならない、という風潮もしくは考え方が世の中の大勢をしめているように思いますが、それってどうなんでしょう?

人間だけでなく、生物(動物だけではなく植物など、生命をもつあらゆるものを含む)というものは、かならず個体差というのがあるわけです。

それは生まれもっての先天的ものもありますし、生後の環境等による後天的なものもあります。

種類によっては克服できるものもあれば、克服できないものもあります。

そういう視点でみたときに、精神面がもろいことがあたかもその個人の責任であり、悪のように取り扱われることに僕は違和感ないし疑問を感じます。

だって、そうでしょう。どうしようもないケースも多々あるわけですから.

それにもかかわらず、精神面がもろいことを悪とし、その他の個人(個体)から劣後している(劣っている)としてバカにしたりすることは許されることではないのではないでしょうか?

完全な人間(個体)など、この世にはいないのですよ。

僕は豆腐メンタルという言葉が嫌い

そして、メンタルが弱い(実際には病気であることも含めて)ことを「豆腐という言葉を使って揶揄(やゆ)している」のではないか、と僕は感じています。

一口にメンタルが弱いといっても、冒頭にいったようにいろんな種類がありますし、実はメンタル不全は誰にでもいつでも起こり得ることなんです。

僕自身、たしかに精神的に強靭だとは言いませんが、それなりの修羅場をくぐってきた経験もあるわけで、それが、ある日突然パニック障害になり、その後、不安障害、適応障害に悩まされている事実がなによりの証拠です。

これは、実際にそういった症状が起こった(起こっている)人間にしか分からない辛さがあります。

突然、めまいがしたり、動悸がしたり、眠れなかったりと、見た目にはなかなか分かりにくい症状だからです。

実は、自分がそういう状態であることを他人に分かってもらえない(それって甘えているだけじゃないの等といわれたり思ったりされている)ことが一番苦痛かも知れません。

そういう状態にあるかも知れない中で、彼は(彼女は)豆腐メンタルだ、なんて言葉を安易に使わないで欲しい、ということです。

まとめ

正直、僕自身がメンタルヘルスの問題をかかえていなければ、そういった人の苦しみも実際にはわからなかったでしょうから、「豆腐メンタル」という言葉に過剰に反応することはなかった可能性は高いです。

ですから、そういった問題かかえたことがない人が、豆腐メンタルという言葉を使ってしまうことは避けられないことかもしれませんし、ある意味、仕方のないことかもしれません。

(頭でわかった気になることと、実際にわかることには雲泥の差があることは承知していますので)

けれども、メンタルヘルスの問題は現代社会の構造に起因する問題の一つとして、おそらく今まで以上に大きな問題になっていくのではないか、と思っているものですから、今回、この記事を投稿しようと思いました。

この記事を読んでくれた方が、少しでもそういった問題に関心を示して頂ければ非常に幸いです。

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