同僚や後輩が上司になった。出世競争に負けた日の心境

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オマチです。

サラリーマンをしていると、ほとんどの人はいわゆる「出世競争」を強いられます。

それはなぜか?

出世をすれば、給料もあがり、職位もあがり、自分たちに頭を下げる人間が増えるから。

そして、ちっぽけなプライドが満たされるから。

だから、みんな少しでも出世しようといろんな方法で頑張ります。

一部の例外を除いては。

一部の例外とは、出世をとっくの昔にあきらめた人たちや、仕事以外に熱中できるものをもっている人たちのこと。

彼らは、異動の時期も、人事話を嬉しそうに楽しそうに話す人たちを横目に、淡々と日々の仕事をこなし、定時になれば帰宅の途につきます。

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同僚が上司になった日

さて、今の会社では、私は既に以前から、はたからみれば残念な境遇にいて、今回の異動においては、さほど年齢の違わない、同僚といってもよい人間の部下になりました。

ここ近年は、休職したことなどもあって、自らの昇格については期待していませんでしたし(というより、負け惜しみではなく、私にはもはや出世欲というものがありませんでした)

今回の処遇も十分に想定の範囲内なので、仮にショックという感情であったとしても、それは皆さんが通常思うほど大きいものではなかったわけです。

ああ、なるべくしてなったな、という感じでしょうか。

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年下の後輩が上司になった時はやはり辛かった

実は、それよりも以前に、自分より年齢が明らかに下の上司に仕えることになった時のほうが、実はショックは大きかったですね。

年齢だけでなく学歴も自分のほうが圧倒的に上であったことが更にショックを大きくしました。(学歴と仕事の出来不出来は別とはいえ)

そして、その時は、出世欲があまりない私でさえも、猫の額ほどのプライドですが、やはり傷つきました。

昇進・昇給というものは、会社によって、評価の項目や方法、出世に求められるその他の要素なども違うと思います。

昇給・昇格のタイミングで、上司部下の関係になった、その人間関係によっても結果に違いが出るし、たまたま成果の出るタイミングや環境であったかどうか、いわゆる「運」で結果はまったく違ってきます。

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出世には「運」が大きく影響する理不尽な世界

必ずしも、本人の能力や努力が正当に、正確に評価された結果、出世するわけではありません。

これは、出世した側の人間からすれば、負け惜しみと言うかも知れませんが、一つ間違えば逆の立場になっていた可能性も十分あるのです。

出世した本人は、おそらく自分の能力や成果が評価された結果だと思っているでしょうし、まわりの人間(特に若手)も、出世した人が優秀であり、そして出世しなかった(できなかった)人は仕事ができない人、能力的に劣っている人、としてみるわけです。

まあ、概ね、まわりの評価とその人の出世度合いが、そこまで大きく乖離しているケースは多くないと感じますが、(かといって、少なくもない)

時として、なぜこんな人が出世して、一方で優秀だと思われる人がなぜ出世していないのか?

と思う(思うだけでなく、おそらくは実力的にもその通りであったりする)ことがそれなりにあります。

そういう人事を見るたびに、何を青臭いことをと言われるかもしれませんが、サラリーマンや、その組織や、そして「評価」方法の欠陥、つまり主観的な評価=不公平さ、理不尽さ、に嫌気がさすことがあります。

そもそも人間とは不完全な存在なので、その不完全な人間が行う評価も不完全に決まっているのですが、なかなか納得しづらいですよね。

誰が上司か、それだけで出世するかどうかが変わってくるのは理不尽極まりなく、時として耐えがたいこともあると思います。

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出世競争に負けた日の心境

大げさすぎるかも知れませんが、「出世」というものに、これまでの長い人生をささげてきた人たちにとっては、戦争に負けた日のような敗北感を感じるのかもしれません。

なぜ、あいつが?などと妬んだり、羨んだりする人も多いことでしょう。

出世欲の少ない、こんな私でさえ、以前はそうだったことを否定できません。

しかし、 人事評価は自分の力が及ばない世界。

出世には運も必要なのです。

そして、課長や部長や、本当に優秀で運が良ければ役員までいったりするでしょうが、誰もがどこかの段階で頭打ちになり、そして、後輩や、自分よりも必ずしも能力が高いとは思えない人間に追い抜かれる日が来ます。

そんなことを考えると、実は、さほど落胆すべきことではないのではないか?

そんな日が来るのが早いか遅いかだけの違いであって、ほとんどの人は着地点はかわらないのではないか?

と、実際に思いました。

特に今後は、ダイバーシティや働き方改革のもと、女性の上司に仕えることもでてくるでしょう。

もちろん、優秀な方であれば問題ありませんが、日本の悪いところで、数合わせのために能力的には明らかに基準に達していない女性上司が誕生するといったことも十分に考えられる時代です。

そんな時代に、出世命、なんて考えのほうが時代錯誤も甚だしい、ということになるかもしれません。

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出世を諦めたサラリーマンは強い

出生を諦めたサラリーマンは考え方次第で強く、そして気楽になれます。

私が実践している方法は以下のとおりです。

一つは、上司、部下という関係ではあるのだけれど、それは組織における「役割分担」の名称であるととらえること。

つまり、優秀か優秀でないか、ではなく、一定の判断を下し、その結果に対して責任をとる役割が上司であり、その上司の指示・命令に従って、自分なりに創意工夫をしながらタスクを実行する役割が部下であると考える。

また、そもそも、仕事は人生を構成するほんの一部分であり、出世することが人生の目的でもなければ、自分という人間を評価する指標でもなく、会社に属することは生きるために必要な糧を得るための一つの選択肢にすぎず、日々を楽しむことこそが人生最大の課題であると考える。

そのように考えることができれば(私はこれが特におかしな考えであり、無理があるものとは全く思わないし、むしろその通りではないかと思っている)、出世競争やら、勝ちや負けといった概念から無縁でいられるのではないか。

そのように思えれば、もっと気楽に人生を生きていけるのではないか。

そんな風に思うのです。

そして、今、私が実践しているのは「自分ファースト」です。

これは自己中心的にふるまって良いということではなく、自分の好きなことを人生の中心に据えて、それを最優先するという考えです。

そうすれば、かなり楽に生きられるようになりますよ。

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