
さて、こんな記事を読みました。
高2で相対性理論を理解した人
ちょうど20年前の’98年春、千葉県在住の高校2年生・佐藤和俊さんは、新聞各紙、テレビ各局で大々的に取り上げられた。
それは日本初の「飛び級」で千葉大学工学部に入学を果たしたからである。
佐藤さんは、千葉大学が行った物理学の分野で優秀な人材を募集する「飛び入学」選抜に合格した天才少年だった。
いまや37歳となった佐藤さんは、現在の仕事についてこう語る。
「トラック運転手をしています。時間は不規則で、朝の3時から走り出すこともありますね。
ただ、日曜と祝日は休みなので、家族と過ごせる時間がきちんとあることがありがたいです。
保育園のときに菅原文太さん主演の映画シリーズ『トラック野郎』を観て大型車が好きになったんです。いつか乗ってみたいなと憧れていたんですよ」
「週刊現代」2018年5月5日・12日合併号
凡人の私からすると、ものすごく勿体ない気がしますけど…
佐藤さんは千葉大学大学院に進学する。
修士課程を終えると、宮城県にある財団法人の研究所で研究職に就いた。
だが、昨今、大学院を出ても研究者として安定した職を得るのは困難というのは、よく知られた話である。
それは元「天才少年」でも同じだった。
「研究職として月給は手取りで約20万円でした。
しかも、1年契約で何年更新できるかもわからなかった。
大学院生時代に中学時代の同級生と結婚して、娘も生まれました。
子どもがいる状態で、1年契約の仕事をすることは不安でしたね。
安定した生活にシフトしたいという気持ちになり、研究職は1年で辞めて、地元の千葉に戻りました」
「週刊現代」2018年5月5日・12日合併号
こうゆう人を国が支援しないでどうするんですかね?
バカな政治家に何千万も給料払う余裕があったら、こういう人を支援してもらいたいです。
司法試験一次に15歳で合格した人
’91年、司法試験一次を史上最年少の中学3年生、15歳にして合格した三好正記さんも、当時大きな話題となった。
三好さんは司法試験に専念するために、高校は単位制に進んだ。
高校では法律ではなく、コンピュータに興味を持ったという。
高校卒業後はITの会社を起業した。
だが、三好さんが立ち上げた会社は’16年に解散していた。
本誌は自宅や実家を訪ねたが、いずれも転居しており、近所住民は誰も三好さんの近況を知らなかった。
彼は起業した当時のインタビューでこう答えている。
「天才というレッテルを貼られて普通に生きていくことが大変だ」
「週刊現代」2018年5月5日・12日合併号
普通に生きていくことが大変…か。
天才は天才なりの悩みを抱えているわけで、同じ人間ということなんですよね。
天才って凡人からみると物凄く羨ましく見えるんですけど、必ずしも幸せなことではないと
。本当に人生ってわからないもんだな~。
まとめ
ああ、何が何だか良く分からない。
最近、特にそう思います。
いったい何が幸せなのか?
何がよくて何が悪いのか?
50歳にして未だに迷いに迷っております。
いつか自分なりに納得ができる答えが見つかるのか、そうでないのか?
人生、辛いことが多すぎると思うのは自分だけなのかなあ…
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