メガバンク(都市銀行)を辞めたい人へ!私が銀行員を辞めた理由

【2019.2.17更新】

オマチです。

私は以前、メガバンク(当時は都市銀行)の一つに約8年間、勤務していました。

法人営業メインの支店に配属された後、東京の本部に異動し、企画の仕事をするという、自分で言うのもなんですが、銀行の中ではいわゆるエリートコースを歩んでいたと思います。

そんな私が、なぜ8年も勤務した後、メガバンクをやめることになったのか。

それについて書いておこうと思います。

私が都市銀行に就職した理由

私が都市銀行に就職したのは、平成初期のバブル崩壊直前でした。

当時は学生優位の超売り手市場で、旧帝大の学生であった私は、その時代背景のおかげもあって、いわゆる東証一部上場の大手企業でも割と選びたい放題に近い状態でした。

私は経済学部ということもありましたし、「給料がよい」、「世間体がよい」というものすごく単純な理由で金融関係(都市銀行、信託銀行、生保)をメインに、商社の方ともお会いさせていただきました。

結局は、生保や商社の具体的な仕事のイメージがわかなかったこともあり、早々に都市銀行か信託銀行にしぼり、両方から内定を頂きましたが最終的には都市銀行を選択しました。

信託銀行の偉い方からは、内定をお断りをした時に、こっぴどく怒られましたね(苦笑)

ちなみに、それはⅯ信託銀行さんです。まあ信託銀行のトップですし、断る人なんてなかなかいないでしょうからね。若気の至りというやつです。

都市銀行に入行して感じたこと

新入行員の支店への配属ついて

支店といっても、さまざまな支店がありまして、例えば法人営業をメインにしている支店や、個人取引をメインにしている支店などがあり、その規模等により「格付け」がされていました。

新入行員の配属については、優秀かそうでないかということは考慮されていないと聞きましたが、大規模店舗に配属された面々と小規模店舗に配属された面々を見比べてみると、本当にそうなの?という気がしないではありませんでした。

後から思ったのですが、ひょっとしたら、入行時点で既に少し差がついていたのでは?と疑いたくなるような感じもしました。

(もしそれが本当だとしたら非常に恐ろしいことですね。そうでないことを祈りたいです)

但し、二ケ店目からは間違いなく自分の評価が反映された部署に異動するようになっています。そして、一度でも足を踏み外したら元のコースへ戻ることは至難の技と思ったほうが良いです。

捨てる神あれば拾う神ありというのは、銀行の人事においてはまずないと思ったほうが良いでしょう。

支店での仕事とノルマについて

私は法人営業をメインにしている比較的規模の大きい支店に配属され、当初は窓口業務であったり、そのバックオフィス的な業務を経験し、その後は融資、外為業務を経験後、法人営業を担当しました。

法人営業というとなんとなくカッコいい感じがするかも知れませんが、その中身といえば、取引先にいって、クレジットカードの新規申し込みや、預金や融資を「お願い」することです。

当時はファームバンキングといって、取引先に端末を導入し、それを使って資金のやりとりをしてもらうことを推進しており、その申し込みをお願いすることもありました。

基本的には、支店での営業の仕事は「お願い」ベースです。

なぜなら、預金や融資の金利などは他の銀行と基本同じレートで差がありません。従って差別化できない商品を扱っている以上、お願いにならざるを得ないんですね。

クレジットカードも、今でこそ年会費無料だったりしますが、当時は千円以上かかっていましたから、それを無理矢理お願いして作ってもらうのには大変心苦しいものがありました。

さて、そのような「取扱商品」について、半期ごとに目標件数や目標額が決められ、毎週、週初めの朝礼で、担当者ごとの現在の達成状況が棒グラフでかかれたボードが掲げられ、支店のみんなの前で発表されるという、

目標に大きく届いていない担当者からすれば「公開処刑」的なものが行われており、私もご多分にもれず「胃が痛い日々」を過ごしていました。

そして半期の目標を達成したと思ったら、ゼロクリアされて、 また 次の半期の目標がさらに増えてやってくるわけです。非常に辛いですね。

私は、いつも夢の中でノルマを追いかけていました。常に走り続けないと銀行では生き残っていけませんから。

そういう状況ですので、同期でも入行して早々に辞めた人も結構いますし、先輩でも毎年誰かは辞めていうような状況でした。

支店長は絶対的な存在

支店においては支店長は絶対王者なのですが、たまにそれを忘れるのか?反抗してしまう人がおりまして、絶対王者の逆鱗にふれた人はその時点で銀行員人生が終わってしまいます。(本当です)

支店長に物申した人間は、ことごとくエリートコースからはずれた部署への異動が命じられ(左遷です)、仕方なしにいく人もいれば、自分の人生は終わったと銀行を辞めていく人もいました。

銀行員をやめずに、銀行で一生いきていくつもりの人は絶対に支店長に逆らわないように。

半沢直樹みたいなことは現実の銀行の世界ではありえません。(結局、半沢も左遷されたのか…)

本部への異動を希望

そんな中、私は、とにかくノルマが嫌で仕方なかったため、本部にいけばノルマから解放されるのではないかという、これまた単純な理由から「本部行き」を希望していました。

営業成績は今イチというか、同期3人の中でも一番悪かったと思いますが、銀行内で行われるいろんなテストにおいては高得点を叩き出しておりましたので(テストは昔から得意なのです)

それが功を奏したのか?

二カ店目は希望どおり東京の本部、しかも企画部というところへ異動になったのです。

ちなみに、銀行の異動は本部勤務をのぞけば2,3年に一度で、全国に店舗がありますから、どこに行くかは分かりません。

しかも、いきなり異動の命令があり、命令があってから1週間(転居を伴う場合は2週間だったか?)という短期間で次の部署に着任しないといけませんので結構大変ではあります。

私の場合は、支店長がそれとなく、事前に異動を匂わせてくれましたので心の準備ができましたが、そうでないケースも多いですので念のため。

本部の仕事について何も知らない私は、とにかくノルマがない(と思い込んでいた)ことと、企画と名がつくところへ異動となったことが物凄く嬉しかった記憶があります。

実は、その後にさらなる地獄が待っていようとは、この時は知る由もなかったのですから。

本部の企画部へ異動

着任初日から違和感?あり

本部に着任する前日は、東京駅の中の東京ステーションホテルに妻と二人で宿泊しました。

翌朝、妻は銀行の家庭寮へ引っ越しの荷物を受取りに、私はそのまま徒歩で本部に向かいました。

本部は高層のあたらしいビルに入っており、支店とは比べ物にならないくらいピカピカな環境で、おお、今日から私はこんな最高の場所で働くんだ!と、束の間ですが高揚した記憶があります。

そして、着任の挨拶を済ませた後、さっそく新しい業務の引継ぎです。

ところが、前任が隣の係にいるのに、前任からの引継ぎではなく、調査役(という役職)の方からの引継ぎでした。

どうやら、雰囲気から察するに、前任(といっても1年か2年先輩)はその業務からはずされて隣の係にいったみたいなのです。

(調査役が「今度来た奴は使えそうだ」と言ったのを聞いてしまった)

この時点で、なんとなくイヤーな予感がしていましたが、そのイヤー な予感は残念なことに的中しておりました。

本部勤務の実態

まず、係(チーム)がチームで仕事をするという感じではなく、個人事業主の集まりのような感じでした。したがって、分からないことを聞いても教えてもらえなかったりしました。

次に、拘束時間がおそろしく長かった…。

支店勤務の時は、朝8時前に入って、夜は9時、10時まででしたが、本部は「不夜城」です。

朝は支店よりも遅く(といっても8時半とか)に入っていましたが、夜はエンドレス。

私が着任した時は、基本、12時東京駅発の電車に飛び乗るという感じで、それが無理なら夜中の2時3時にタクシー帰り。ああ、首都高の景色が懐かしい。

一番ひどかった時は、金曜日に出勤して、帰ったのは日曜日の朝、ということもありました。

日曜日の朝に帰宅したら妻が泣いていました。泣きたいのはこっち(とは言いませんでしたが)

私が本部にいって3年後くらいには、ずいぶん改善されましたが、支店での営業とは違うプレッシャーを感じていました。20代で日銀や金融庁(当時)の対応なんて、普通、担当させます?

今から考えたら、よくそんな大変な仕事を銀行は私なんかにやらせたなと思います。当時はそれが当たり前という雰囲気で、私も若くて元気があったから何とかこなせてたんだろうと思います。相当疲れてましたけどね。

昼ご飯のあと、コーヒーとかを飲むんですが、同じ係の皆さんは全員いびきかいて爆睡状態。

皆、過労死寸前だったんじゃないか?と思いますが、不思議と誰も死ななかったです。

私は新婚で子供も生まれたばかりなのに、身体が重くて、土日はベッドに「めり込んでる」感じ。そんな状態でも、平日に仕事がこなせないと自主的に土日出勤です。

ちなみに、それだけ仕事をしても(残業と土日出勤を合計すると、約200時間くらいはいってたかも)申請できる残業代は月30時間が上限でした。

おそらく時給にしたらかなり安かったはず。そして、今なら間違いなくブラック企業でしょう。

そんな日々を丸5年つづけたんですから「自分で自分をほめてやりたい」ですね。

銀行を辞めようと思った理由

それだけ頑張って仕事して、第一選抜(当時、同期500人中、上位100人強?)にはいって、30歳の年に調査役に昇格し給料も年収900万円くらいになったんです。

30歳で年収900万。調査役という肩書もついて、普通ならやめないのかも知れません。

でも私は辞めました。

以前からずっと考えていたのは、一生、こんな仕事中心の、仕事だけの人生を自分は送るんだろうか、ということでした。

銀行には「給料が良いこと」と「世間体が良いこと」が理由で入ったのに。

そして、それが順調に達成されているのに。

でも、いくら給料が良くても、それを使う時間がない。

自分の時間もないし家族との時間もない。

それが自分が本当に望んでいた人生なんだろうか?と考えた時にそれは違うなと思ったんですね。

妻へ相談

そこで、とうとう妻に相談したんです。 銀行辞めたいんだけどって。

妻もほとんど家庭寮で母子家庭状態でしたから、次の仕事を決めてからなら辞めてもいいよと言ってくれました。

給料は激減

転職した時は、給料は銀行員時代の6割くらいになりました。でも東京から地元に戻ってこれたし、徹夜で仕事することもなくなりましたし、

贅沢はできませんが、自分自身や家族との時間も激増したので、銀行を辞めたことについては今でも1ミリも後悔していません。

結構、先輩や同期から、なんで順調に昇格とかしてるのに辞めるの?もったいない

なんて言われましたけど全然。

今から思えば私と同じ時期に辞めた人たちも結構いましたね。

逆に私とは違って、銀行で頑張って、今や支店長や本部の次長になってる先輩や同期もたくさんいます。(彼らが幸せかどうかは知りません)

転職について

私が銀行をやめた当時は、今ほど転職が当たり前の時代ではありませんでした。

転職を支援するような会社もありませんでしたし(知らなかっただけかも知れませんが)、今と比べて情報量が圧倒的に不足していました。

転職するには、活動自体にも相当なパワーが必要になりますし、失敗することもできませんし、普通の人(特殊なスキルがない人)が転職したら、給料や処遇が上がることはまずないと思います。

従って、当然ですが、退職したり転職先を決めたりするのは相当慎重に検討した方がよいと思います。

実際、私の場合でも、前述のとおり給料はかなり下がりましたし、転職活動は原則土日に行っていましたし(その間は平日も仕事ですから休みがないということです)、

どうしても平日に面接するとなった場合は、銀行を休んで(体調が悪いとかいって)面接に行ったりと何かと大変でした。

幸い、嫁ブロックも親ブロックもありませんでしたから、その点は助かりましたが。

まとめ

以上のとおり、銀行の仕事環境の実態や、銀行を辞めた理由、転職などについて書いてきました。

私が、子供の就職に関して口を出すとしたら、銀行だけはやめておきなさい、と言います(苦笑)

もちろん、銀行に向いている人も中にはいるでしょうから、そこは自己責任でお願いします。

ただ、あんまり楽しいところではないのは確かではないかなと思いますけど。(これもあくまで私の個人的な意見です)

また、会社を辞めて転職することについても、繰り返しになりますが、よくよく考えたうえで結論を出すようにしましょう。

実際「給料が下がる」というのは正直なところキツイものがあります。

また、どこに転職したとしても仕事は大変なものです。決してそんなに楽なところはありません。

やっぱり生きていくうえでお金はあるにこしたことはないです。月一万円とかの差でも思った以上に大きいんですよ。

なお、最近、「社畜」とか「消耗」というワードがネット上に氾濫していますが、くれぐれもそんなワードに惑わされることなく、しっかり地に足をつけて、「本当に自分はそれでいいのか?」ということを自問自答するようにしてください。

私が転職した時代に、転職支援サービスがあれば、転職活動ももっと楽だったでしょうし、選択肢も他にたくさんあったのかも知れないな、と最近思ったりする今日この頃です。

終わり

20代・第二新卒・既卒向け転職エージェントのマイナビジョブ20’s(トゥエンティーズ)

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